自分ルール カテゴリー

( ´ ∀⊂)

ただ一つのルール

[自分ルール] 2010年2月4日(木曜日) 20:54

「自殺する時は餓死」「妻を泣かさない」等々々、細かいルールもありました。
希に泣かしてしまいますので、煮詰まり具合はその程度のものです。

子供が3歳に近づいた昨今、親としての意識も泡立つようになり、
自分ルールの根っこに近い部分として、これは肝に銘じようと思い入る事があります。

「親より長生きする事」

いくらミームを残そうと、子供の先経ちだけは見たくない。
親もそう思っていることでしょう。

え?孫ができると変わってくるって!?(・ω・)
まぁ、その辺のところは先々の楽しみとして取っておきましょう。

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メディアの重心

[自分ルール] 2009年3月11日(水曜日) 22:53

メディアがもつ意志の重心

「コンテンツが利用者に支持される事で、スポンサーの利益を上げる」というスタイルにあるメディアのほとんどはおそらく、

  • スポンサー
  • 利用者
  • 制作者
  • 社会

の意図、意志によって構成され、またこれらの重心は、成り立ちや経済によって媒体毎に異なります。

利用者至上主義は簡単ではない

利用者の利便性を追求する行為は、それが的を射ていれば、利用者の増加に直結します。
視聴率、アクセス数、そしてコンバージョン。
スポンサーの利益が優先されて利用者が不利益を被る事もあるでしょうが、NHKの様な広告スポンサーを持たない有料モデルであっても「不満」が消えない現状をみられる様、「利用者の利便性を追求する」行為そのものが、とても難しい事だと言えるでしょう。

何故難しいか

  1. 利用者の望みがバラバラだったり、そもそも望みがなかったりする事
  2. 機械的に大多数の望みを把握する仕組構築の難しさ
  3. 望まれている提案を生み出す難しさ
  4. 望みを叶える事が、利用者の不利益に直結する可能性
  5. 望まれていない啓蒙の難しさ

1、2、3、はマーケティングやマーチャンダイジング的手法を用いるのが王道でしょうが、データを中心にフィルタリングやパーソナライズを自動化できるのはネットの強みでしょうか。

4、は「欲しい物しか見ない」事で成極化的な凝り固まりを起こしてしまう可能性です。視野を極めて狭くするものであったり、大量な時間を浪費させるものであったりします。

5、は4を緩和する為にも望まれる要素ですが、啓蒙自体の難しさはもちろん、広告・実益との境界が曖昧になりがちな問題もあります。特にマスメディアによる啓蒙は弊害も反発も多く、マスメディア自体が嫌われる原因の一つにもなっています。技術的には、やはりネット向きでしょうか。「お勧め」を自動抽出する仕組みに近いとも考えられますし。

ネットメディアの重心

「ネット」が持てはやされ「テレビ」が飽きられてつつある現状の根幹には、メディアの重心が深く関係していそうです。
ネットには、利用者の利便性を追求しやすい性質があり、そここそが「ウケ」ていると。それはもちろんイノベーションでしょう。

検索エンジンは利用者至上主義を通しやすい

検索エンジンの場合、

  • 利用者の望みが、最初にかなり明確に示される
  • 望みを叶える事に提案自体が含まれている
  • コンピュータシステムで処理している

利用者に重心を持って行きやすい本質を持っています。
もちろん、利用者至上主義で運営する必要はありません。
しかし、他メディアではしたくてもできない事が、簡単に行えるメディアなのです。

googleの重心

近頃のgoogleは、無茶のしすぎで悪名さえ轟いています(笑)。
利用者寄りの重心をもつメディアという点では、googleが最右翼と言えるでしょう。利用者(あくまで利用者)としては、googleは案外誠実なんです。
例えば、リスティング広告の在り方。
ヤフー VS グーグル–見られるリスティング広告はどっち?」では、ヤフーの表示形式の方が効果が高いと持ち上げていますが、これ所詮は「騙しリンク」の手法なんですよね……
一方、googleは広告のクリックレートが落ちようとも、不誠実な表現を避け利用者の利便性を優先しています。

google的重心の怖さ

ストビュや、ブック検索等々、これら線上には様々な問題があり、利便性追求が同時に社会を激しく削りたてています。
これが、イノベーションに伴う新旧価値観のつばぜり合いなのか、「社会」の利益と「利用者」の利益に発生している構造的なラグなのか、単なるやり過ぎなのかは正直、よく分かりません。
ただ、そこにある問題が単純な摩擦を超えている感覚はあります。

マスメディアの重心

ネットの無料モデルに“マスメディア”の未来はない」 では、重心がスポンサーに偏ることの弊害が語られていますが、ネットを持ち出すまでもなく、国内マスメディアの多くは既に利用者寄りの重心ではありません。
マスメディアによって特権のように自称されるジャーナリズムが信頼を取り戻すのは、確かに至難の業でしょう。

広告的提案は不信を買いすぎたか

広告優先な提案は「ついつい」な結果を招きがちです。そもそも騙す気満々のものでさえ存在します。

もっと自分にあった商品が他にあったのに、それどころか不要だったのに、ついつい買ってしまった……
クライマックスをCM明けに引っ張るのでついつい見たがイライラしか残らなかった……
褒めてばかりの記事を信じて買ったが、誰でもすぐに感じる不満がレビューされていなかった……

積もり積もったこれら不信が「広告的提案=スパム」と判断する下地を作ってしまったのかもしれません。
逆に、テレビドラマがスパムと認識されていないのは、作品中の提案がまだ不信を買っていない証左とも言えそうです。

ネットメディアの可能性

利用者の要求に対して、「適した提案」を返す事は、素晴らしい事です(怖くもありますが)。
また、その内容に広告が含まれるかどうかも、提案される側にとっては本質ではありません。

優れた提案には誠実さ

望まれた以上の物を提案する行為は、スポンサーの事情を無視できたとしても難しい事です。
データマイニングシステムと同時に、騙す気のない誠実さとその裏付けが不可欠でしょう。
しかし、技術的にそれらを克服できたとしても、少なからず誤解は発生します。
なぜその提案に至ったかの誠実さを伝えるには、おそらく表面的な「理由」だけでは足りません。
多少角が立とうとも実態に近い立場を明示できるメディアが信用を勝ち取ることでしょう。

ネットでは嫌われる事さえ好かれる以上の結果を生める

嫌いな雑誌を買う人は奇特ですが、嫌いなウェブ記事はそれなりに使われます。
無料モデルが一般的だからでしょうか、「嫌い」な対象を嫌いと、間違っている対象に間違っていると言える文化がネットには存在します。「炎上」や「釣り・煽り」もその性質が目だ立たせた現象と言えるでしょう。
この性質の芯には「信用さえ得られるなら嫌われる事を恐れる必要はない」という意義がありそうです。
※もちろん炎上を目指すべきではありません。その多くは誠実さを欠いてしまったが故に起こる不幸な現象です。

嫌われても信用を取るべきか

「信用」は「好き嫌い」に対抗しうる数少ない基準です。
「好かれているが信用されない存在」
「嫌われても信用はされる存在」
の二択を迫られた際、特にネットの場合はそろそろ後者を選択すべきなのかも知れません。

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城と城下町

[自分ルール] 2009年2月8日(日曜日) 22:43

企業は……国際競争力を……な話で近頃感じるのは、「城と城下町は苦楽を分かち合った方が幸せなんじゃないのか」と言う面です。

城下町が消えて空しい

SF的な意味で極度に成熟した社会に於いては、資産を「金」化するのが自然かつ合理的なのかもしれません。しかし同時に、現代の「金」が、果たしてそこまで認められるに値する価値を得ているとも思えず。
「成熟」しきっていない、歴史的な意味で普通の社会では、資産を様々な形に分散するのが自然でしょう。そして、その資産の一つの在り方として「価値を生み城を守る仕組み」即ち「城下町」自体が在るんじゃないのかなぁと感じるのです。
私は既に小城でさえありませんが、城下町が消し飛ぶ様は見るに忍びません。

その摂理は合理的か

海底火山の噴出口が変わり、消える噴出口周辺の生態系が変わらざるを得ないのは摂理です。また、荷物を抱えすぎては目的地に到達も出来ません。
しかし果たして、それは本当に閉ざさざるを得ない噴出口なのか。果たして駆け足でたどり着く事にどれだけの意味があるのか。
逆に、分かち合うに値する城下町なのか。そこに通じるものがどれだけあるのかと言う視点もあるでしょう。

もったいない

まとまりを欠きますが、昨今の判断は短期的な損得で決せられ過ぎている様に感じます。そして、その代償とされているものが真に「もったいない」ものである可能性も強く。
子供の時には、使い捨ての「ビンやカン」を非常にもったいなく感じました。当時の合理性よりも、当時の子供の感覚の方が正しかったと判断される時代になり10年以上。
ひょっとすると、今、価値の高いものが各地で切り捨てられているのかもしれません。

城下町としての価値を

城下町の価値は短期的な「収支」に留まらず、それが城下町足るか足るべきかを含めて、もう少し多くの角度から精査されてしかるべきかなと感じます。

ええ、酔っぱらいです。

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近頃、子供からはよく散歩を要請(笑)されます。今日は、食材調達も兼ねて家族3人でドライブをしました。
道中「○○日は祭りの為渋滞します」な看板を発見。丁度、子供が生まれた産院の近くでした。ああ、渋滞の中、出産に駆けつける旦那もいらっしゃる事でしょう。
お世話になった我々にとっては自身たった一つのストーリーに過ぎませんが、産院では言うまでも無く日々出産。祭りだろうがなんだろうが、その日にもストーリーはあり……

全くもって頭が上がりません。
医療制度不備等のために産院が激減している昨今ですが、頭が上がらないのはその所為だけではないでしょう。
産院のスタッフには、日々多大な重荷が圧し掛かりそれは生半可な意思ではしのぎきれないだろう重たいもの。
感謝をいくら重ねても重ねたりません。

果たして、頭の上のハエを追うと……
理想的な働き方、生き方を考えて行くと「何を創りたいか」に帰着しがちな私ですが「如何に感謝されうるか」と言う要素も非常に大切だなと感じました。

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そんな都合の良い会社があってたまるか

10年以上前の事です。大学の卒業が迫り、私も就職活動を行った事が有りました。
希望はゲーム会社。
とある大きくない会社から内定を頂き、その年の夏休み一杯をバイトとして過ごしました。
当時の私としては給与は二の次で、兎に角、「企画が認められれば一プログラマであろうと予算がもらえる」仕組みにときめき、自分にとってそこが最高の環境だと信じて疑いませんでした。
表題の「そんな都合の良い会社があってたまるか」は、面接で役員に言われた言葉です(笑)確かに、その役員は会社の屋台骨を支える為に走り回っていました。彼らこそ、本当は心底創りたいものがあったのでしょう。しかし、環境整備に労力を裂かれ、ママならない状況の中からでた悲痛のアドバイスだったのかもしれません。

君は起業すべきだ

ときめいている新卒に言う台詞にしては、若干厳しい気もします。新卒の面接どころではない実情が言わしめた愚痴だったのかもしれません。それでも、当時の私には染みた言葉でした。(なお、そこのゲーム会社は同年の秋口に大きく傾き役員総退陣になりました。)
今から思えば浅はか極まりませんが、結果、私は向こう見ずにも会社をつくりました。礎もコネも何もない若気の至りそのものの行為でしたが、根本にあったものは、この言葉の衝撃でした。

環境を作ろう

流石に、限界があります。個人であっても、法人であっても。10人未満であって、おそらく1000人以上であっても。
たとえ火星で全生態系を創るような規模であっても、必ず人様にお世話になる部分は出てきます。いつ枯れるとも分からない泉に全霊を預けることも少なくないでしょう。

感謝かな

お世話になっている方々への感謝は当然ですが、それ以外に対しても、その手の気持ちが必要なのかも知れません。
どんなに環境をつくろうとも、やはり未確定要素は存在し、そしてそれは必ずしも極小に維持できるとは限ぎらず…
まぁ、なんと言いますか「ただそこにあるもの」も案外努力の結晶だったりで在り難いものなのですよね。

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最強の集中術

[自分ルール] 2008年6月2日(月曜日) 21:58

かなり良著の予感

最強の集中術: ルーシー・ジョー・パラディーノ, 森田 由美: 本
かなり良著の予感です。2008年上半期ベスト良著かもしれません。もっとも、20冊も読んでいないのですが(ノ∀`) 読んだのに予感なのは、まだ全然咀嚼できていないから。書いてあることは概ね化学的で、思想系やオカルト系のものとは一線を画します。

脳科学系の本も少しは読み、それなりに刺激も感銘も受けましたが、それらはなんと言いますか、OnOff的なやるやらない的な二元論もしくは仕組み原理の解説に近く、この本のように、手法をもってバランスを「コントロール」する具体性を前面に押し出してはいませんでした。

こんな大事な事を…

まず、この手の理論・技術を、体系だって学んだ記憶がない自分に愕然。断片的な技術にはよく触れますし、オカルト的な集中の概念こそ持ってはいますが、それらはとても満足すべきレベルのものではありませんでした。
ああ、30年も生きてきてこんな大切な事の体系を持っていないなんて…

弛緩←→緊張の軸

この本は、リラックスしすぎてやる気が出ない状態から、興奮しすぎて頭も真っ白な状態までを「弛緩←→緊張」の軸に置き、アドレナリンのコントロールによって、自身を適切な状態に導く事で、最もパフォーマンスが得られる「集中ゾーン」を維持しようという理論のようです。
また、デスクワークにはデスクワークの、アメフトにはアメフトの、それぞれに適した「集中ゾーン」があるとも。
気分転換や不安・緊張の制御、やる気の出し方等々、非常に具体的で分かりやすく今日から使えそうなテクニックも満載です。

今の今ままでは、悪い「緊張」状態の解消に必要なのは「リラックス」ではなく「集中」だと信じていました。リラックスなんかするヒマがあったら、目の前の一球に集中しろ!みたいな感覚。でもそれは、違ったんですね。
「緊張状態ではアドレナリンが出すぎているため、リラックスする事で集中状態に戻れる」と言う事なんですね。
なるほど「緊張しないためだけのメンタルトレーニング」なんて次元では無いと。

うーん…

しかし、イマイチ咀嚼しきれません。もっとも、実践できていないのですから当然とも言えます。
ベースとなる理論も、コントロール方それぞれも非常にすばらしいのですが、何かが混沌としている。
素朴な疑問としては、

ひょっとして集中ではなく平静なのでは

まず、競技によって「ゾーン」が異なる時点で「アドレナリン量」と「集中」の軸が違っていませんか?(・ω・)
投擲競技などでは確かに「興奮」状態の方が良さそうです。しかしアスリートを見るに、彼らは興奮と同時に「集中」を獲得しているようにも見えます。「集中力」というゾーンは固定で存在するが、「競技パフォーマンス」のピークは、集中力のピークにあるとは限らない…という意味なのでしょうかねぇ。

ひょっとして集中ではなく意欲なのでは

興奮状態にも、けっして怒りっぽくない「躁」状態があったり、弛緩状態にも、不安に苛まれて何もできない「鬱」的な状態や、10倍になった重力に魂を絡め取られるような全くやる気が出ない状態など、さまざまです。
テクニックの章では、不安や無気力への対策も具体的に掲載されているのですが、果たしてそれらは本当に「弛緩興奮」の軸なのでしょうか。「躁鬱」や「必然性」のようなもののなど、何かしらの大事な軸が同時に存在しているような気がしてならないのです。

ひょっとして集中そのものではなく、その土台?

この本によると、コントロール次第では、それこそ「常時」集中していられるようなのですが「最大パフォーマンス」が出せる精神状態を本当にそんなに維持する事は可能なのでしょうか。
ひょっとすると「土台」作り程度に割り引いて捉えるべきなのかもしれません。

何れにしても何度も読んで、実践してみようと思える示唆に富んだすばらしい本です。

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「今、ここ」

[自分ルール] 2008年5月23日(金曜日) 22:02

儲けを生み出す表現力の魔法 によると、表現力に於いて子供と動物が際立つのは、可愛いからではなく、

子供と動物は、「今、ここ」に生きて反応しているからです。
「今、ここ」に生きているとき、生物はその存在感が最大になっています。

だそうです。

ちなみに、タモリ倶楽部を見ながらお酒を飲むは大好きです。酒に酔った自分は「今、ここ」ですが、タモリ倶楽部は確かに「今、ここ」の魅力ではありません。
翻って、私自身はどれだけ「今、ここ」を生きているのか。「今、ここ」の私自身はどれほどの者なのか。我ながら面白くない人間です。

当ブログでほとんど時事・社会問題に触れないのは、「自分が何をできるのか」「自分は何をしているのか」という視点を入れにくいから。つまり、それらに関して美しい行為を何もしていないから\(^o^)/
思うことこそ腐るほど(笑)あるのですが、少なくとも「意識的に関係できる何か」が無ければ、書いても嘘になってしまいます。嘘は流石に大げさでしょうか。しかし実践の伴わない空しい記録になってしまいます。

できるだけ「今、ここ」を意識する事でもう少し、彩のある楽しい方へ向かうことを期待しつつ、今打つべき仕事へ戻ろう(ノ∀`)

儲けを生み出す表現力の魔法

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気が付けば私もマークアップエンジニアです。と言う訳で、チョット古いですが
マークアップエンジニアはどこへ向かうべきか」を考察。

あぁでもコレ、どうみても「マークアップエンジニアの私はどこへ向かいたいか」ですよね。

皆々様、適性や趣向に合わせて精進なさっている事でしょうし。例え無意識であっても「マークアップエンジニアの本質とは」と問われた際に思い浮かぶ方向へ。例えば、写植なり、IAなり、デザインなり、ライティングなり、プログラミングなり、ディレクションなり、エンタメなり。

結論

今年中にあと2つ3つくらいCMSをかじってみようと思いました(゜Д゜)

私的変遷の整理

アプリケーションプログラマ→ホームページ制作者→ウェブディレクタ→HTMLコーダー
ノリで会社設立したものの、プログラミングで食えず、当時黎明期だった「ホームページ制作」を受注。黎明期は分業が進んでませんので、オールラウンダー(何でも屋)として成長。ビジュアルメイクのセンスが無くプログラミングは部下のが遥かに素敵だったため、自動的にディレクタ件雑用(笑)に。会社を軌道に乗せられず、現在フリー。

ざっくりこんな感じでしょうか(ノ∀`)

言うなれば、スキルアップに失敗した私。結果的に、今持っている「食える」程度のスキルはHTMLコーディングです。

  • 「習得が楽」だったからかもしれません
  • 「誰もやりたがらなかった」からかもしれません
  • 「外注が捕まらなかった」からかもしれません
  • 「適性があった」からかもしれません

そんな私の考察。

切磋琢磨の不要な職はない

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