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メディアの重心

[自分ルール] 2009年3月11日(水曜日) 22:53

メディアがもつ意志の重心

「コンテンツが利用者に支持される事で、スポンサーの利益を上げる」というスタイルにあるメディアのほとんどはおそらく、

  • スポンサー
  • 利用者
  • 制作者
  • 社会

の意図、意志によって構成され、またこれらの重心は、成り立ちや経済によって媒体毎に異なります。

利用者至上主義は簡単ではない

利用者の利便性を追求する行為は、それが的を射ていれば、利用者の増加に直結します。
視聴率、アクセス数、そしてコンバージョン。
スポンサーの利益が優先されて利用者が不利益を被る事もあるでしょうが、NHKの様な広告スポンサーを持たない有料モデルであっても「不満」が消えない現状をみられる様、「利用者の利便性を追求する」行為そのものが、とても難しい事だと言えるでしょう。

何故難しいか

  1. 利用者の望みがバラバラだったり、そもそも望みがなかったりする事
  2. 機械的に大多数の望みを把握する仕組構築の難しさ
  3. 望まれている提案を生み出す難しさ
  4. 望みを叶える事が、利用者の不利益に直結する可能性
  5. 望まれていない啓蒙の難しさ

1、2、3、はマーケティングやマーチャンダイジング的手法を用いるのが王道でしょうが、データを中心にフィルタリングやパーソナライズを自動化できるのはネットの強みでしょうか。

4、は「欲しい物しか見ない」事で成極化的な凝り固まりを起こしてしまう可能性です。視野を極めて狭くするものであったり、大量な時間を浪費させるものであったりします。

5、は4を緩和する為にも望まれる要素ですが、啓蒙自体の難しさはもちろん、広告・実益との境界が曖昧になりがちな問題もあります。特にマスメディアによる啓蒙は弊害も反発も多く、マスメディア自体が嫌われる原因の一つにもなっています。技術的には、やはりネット向きでしょうか。「お勧め」を自動抽出する仕組みに近いとも考えられますし。

ネットメディアの重心

「ネット」が持てはやされ「テレビ」が飽きられてつつある現状の根幹には、メディアの重心が深く関係していそうです。
ネットには、利用者の利便性を追求しやすい性質があり、そここそが「ウケ」ていると。それはもちろんイノベーションでしょう。

検索エンジンは利用者至上主義を通しやすい

検索エンジンの場合、

  • 利用者の望みが、最初にかなり明確に示される
  • 望みを叶える事に提案自体が含まれている
  • コンピュータシステムで処理している

利用者に重心を持って行きやすい本質を持っています。
もちろん、利用者至上主義で運営する必要はありません。
しかし、他メディアではしたくてもできない事が、簡単に行えるメディアなのです。

googleの重心

近頃のgoogleは、無茶のしすぎで悪名さえ轟いています(笑)。
利用者寄りの重心をもつメディアという点では、googleが最右翼と言えるでしょう。利用者(あくまで利用者)としては、googleは案外誠実なんです。
例えば、リスティング広告の在り方。
ヤフー VS グーグル–見られるリスティング広告はどっち?」では、ヤフーの表示形式の方が効果が高いと持ち上げていますが、これ所詮は「騙しリンク」の手法なんですよね……
一方、googleは広告のクリックレートが落ちようとも、不誠実な表現を避け利用者の利便性を優先しています。

google的重心の怖さ

ストビュや、ブック検索等々、これら線上には様々な問題があり、利便性追求が同時に社会を激しく削りたてています。
これが、イノベーションに伴う新旧価値観のつばぜり合いなのか、「社会」の利益と「利用者」の利益に発生している構造的なラグなのか、単なるやり過ぎなのかは正直、よく分かりません。
ただ、そこにある問題が単純な摩擦を超えている感覚はあります。

マスメディアの重心

ネットの無料モデルに“マスメディア”の未来はない」 では、重心がスポンサーに偏ることの弊害が語られていますが、ネットを持ち出すまでもなく、国内マスメディアの多くは既に利用者寄りの重心ではありません。
マスメディアによって特権のように自称されるジャーナリズムが信頼を取り戻すのは、確かに至難の業でしょう。

広告的提案は不信を買いすぎたか

広告優先な提案は「ついつい」な結果を招きがちです。そもそも騙す気満々のものでさえ存在します。

もっと自分にあった商品が他にあったのに、それどころか不要だったのに、ついつい買ってしまった……
クライマックスをCM明けに引っ張るのでついつい見たがイライラしか残らなかった……
褒めてばかりの記事を信じて買ったが、誰でもすぐに感じる不満がレビューされていなかった……

積もり積もったこれら不信が「広告的提案=スパム」と判断する下地を作ってしまったのかもしれません。
逆に、テレビドラマがスパムと認識されていないのは、作品中の提案がまだ不信を買っていない証左とも言えそうです。

ネットメディアの可能性

利用者の要求に対して、「適した提案」を返す事は、素晴らしい事です(怖くもありますが)。
また、その内容に広告が含まれるかどうかも、提案される側にとっては本質ではありません。

優れた提案には誠実さ

望まれた以上の物を提案する行為は、スポンサーの事情を無視できたとしても難しい事です。
データマイニングシステムと同時に、騙す気のない誠実さとその裏付けが不可欠でしょう。
しかし、技術的にそれらを克服できたとしても、少なからず誤解は発生します。
なぜその提案に至ったかの誠実さを伝えるには、おそらく表面的な「理由」だけでは足りません。
多少角が立とうとも実態に近い立場を明示できるメディアが信用を勝ち取ることでしょう。

ネットでは嫌われる事さえ好かれる以上の結果を生める

嫌いな雑誌を買う人は奇特ですが、嫌いなウェブ記事はそれなりに使われます。
無料モデルが一般的だからでしょうか、「嫌い」な対象を嫌いと、間違っている対象に間違っていると言える文化がネットには存在します。「炎上」や「釣り・煽り」もその性質が目だ立たせた現象と言えるでしょう。
この性質の芯には「信用さえ得られるなら嫌われる事を恐れる必要はない」という意義がありそうです。
※もちろん炎上を目指すべきではありません。その多くは誠実さを欠いてしまったが故に起こる不幸な現象です。

嫌われても信用を取るべきか

「信用」は「好き嫌い」に対抗しうる数少ない基準です。
「好かれているが信用されない存在」
「嫌われても信用はされる存在」
の二択を迫られた際、特にネットの場合はそろそろ後者を選択すべきなのかも知れません。

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