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ジャーナリズムの角

[自分ルール] 2008年4月29日(火曜日) 23:17

ネット上で広く支持されている論、信頼を得ている論が、マスコミの言う世論とずれている感は少なからずありますが、実際どうなのでしょう。
支持される要因とは。今どのような現象が起きているのか、そして起こるのか。その辺に興味が沸いたのが、去年の3月頃でした。

世論自動分析失敗

1週間ほど「某匿名掲示板からのネット世論自動抽出」を試みました(仕事ではありません)。
結果的には突き抜けず失敗(ノ∀`) しかし、

  • 完結した正論には賛同レスは付きにくい
  • わざと煽って内容と逆の意見を加速させる向きがある
  • 選挙前は本当に「党員」が来る

等々、興味深い事例にも気付け、案外実のあるものでした。

ネット言論の時代は案外複雑かもしれない

その際、深く感じたのが、そう遠くない将来訪れるであろうネットジャーナリズム全盛時代の複雑さ。
直接選挙制ならずとも、選挙運動のネット解禁が迫り「政治」はより身近なものになるでしょう(親しみやすいかは別として)。
おそらく、ネット上での言論活動は、どんどん複雑化していくと思われます。「嘘を嘘と見抜けない人には(掲示板を使うのは)難しい」と言う有名な言葉がありますが、日に日にそれが難しくなっていっている印象を受けました。

受け手責任は実在する

「受け手責任」という言葉があります。某TV番組でそれを主張した方は、他の自称ジャーナリストにケチョンケチョンに叩かれておりました。しかし、それは確かに存在します。
書き手責任にも内在されています。たとえば、ソースを確認しない報道はありませんし、間違ったソースに騙されれば書き手責任も問われます。
また、ソースを保護し書き手の信用を元に発信するのであれば、その書き手はしっかりと責任を負うべきでしょう。
「受け手責任」はジャーナリズムの半身とさえ言えます。

マスコミはパワーダウン?

警察による事件被害者の実名公表自粛の際にも、マスコミは諸手を挙げて「実名を報道するかは報道に判断する権利がある」と主張しました。「受け手責任」や「被害者のプライバシ」を強烈に否定する姿を見せられる度「ジャーナリズムはマスコミの特権であるから、マスコミの情報を咀嚼せずに鵜呑みにしなさい」と言う欺瞞を感じてやみません。

10年前と比べると、マスコミによるジャーナリズムは大きく信頼を失いました。その影響力を広告や印象操作的な扇動としてしか捉えない向きも広がっています。しかし、安倍内閣と福田内閣に対する風当たりの差と支持率の相関はマスコミの影響抜きには語れませんし、情報ソースとしても、依然、絶大な信用を保っています。

信頼ジャーナリズム

「あの人」が言うのだから正しいに違いない。スケールにもよりますが、特にネットの無い時代ならば、そう判断するのが概ね実用的と言えるでしょう。これを仮に「信頼ジャーナリズム」と呼びます。

昨今のネット化によって「有名なあの人」の人となりをある程度知ることができるようになりました。断片からは見えにくかった矛盾が分かりやすくなり、信頼を失った「あの人」も少なくありません。

しかし、ネットによるジャーナリズム革命が進むにつれ、一周すると感じます。つまり、ネット上でも信頼ジャーナリズムに収束するのではないかと。「ソース原理主義」をしても、行きつく先は「ガチ」の力比べです。明らかに間違っている事に対しては、カスケード的な一方的な力が働くことも少なくないでしょうが、しかし例えば「都市と地方」「大きな政府か小さな政府か」から一方的な「理」を導き出すのは非常に難しい事です。

信頼の集まる場所は

「嘘が無い」「理がある」は当然として、その次に求められるのは、おそらく「ポジション(利害関係)」の明言かもしれません。矛盾の多くは、ポジションの隠蔽や、ポジションの変化に起因します。この「ポジション」を明記できるジャーナリズムが信頼を得るのではないでしょうか。もっとも、マスコミは「中立」でなければならないと何故か法定されているようです。

ジャーナリズムとしては、ただ正直に在れれば生き残れるのかもしれませんが、組織としてはそうも行きません。一個人としてさえ、何処かしらに角が立つものです。

ジャーナリストとはその角を立てた人の事を示す時代なのでしょうか。そして、角を立てたくない個人や組織は「利」に流されざるをえないのでしょうか!?(ノД`)

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